アムジスト雑記

Home > ゲーム紹介・レビュー(~00年代)

 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
 

ゲーム紹介・レビュー 遊戯王デュエルモンスターズGX スピリットサモナー

遊戯王デュエルモンスターズGX スピリットサモナー

ニンテンドーDS コナミ 2006

2006年にニンテンドーDSにてコナミが発売した、人気カードゲーム「遊戯王」の電子作品。遊戯王の電子作品は純粋に遊戯王オフィシャルカードゲームの対戦ツールとしての位置づけを持つものと、アニメ版遊戯王のキャラクターなどを登場させたシナリオモードといった、RPG的な要素を持つ作品とのふたつの潮流が存在しており、このスピリットサモナーは後者に位置するものである。スピリットサモナーと同様の流れをくむ作品にはアニメに登場するキャラクターとタッグを組み、戦いを進めていくというタッグフォースシリーズなどが存在しており、前者は遊戯王オフィシャルカードゲームの世界大会、ゲーム部門などで使用されるワールドチャンピオンシップシリーズなどがかつて一年に一本というペースでリリースされていた。

シナリオの設定などは当時放映されていた遊戯王の販売促進アニメである遊戯王GXに依存しており、主人公は作中に登場するデュエリストの養成機関であるデュエルアカデミアに、新入生として飛び込んでいくことになる。

物語は基本的に、主人公のレベルが一定の数値に達するとイベントが発生、クリアすれば再び次のイベントが起こるレベル帯が設定される…と主人公のレベルによって進行していく。主人公が入学するデュエルアカデミアにはそこかしこに生徒(=デュエリスト)が徘徊しており、彼らと戦って勝利することで主人公に経験値が加算される仕組みである。個々の生徒のデッキの強力さにはかなりのバラつきがあり、ゲーム開始時点で主人公が所有するデッキでは到底歯がたたないような相手も多い。デュエリストに勝利することで手に入るお金を使ってパックを購入し、デッキを強化していくことで、シナリオ上の関門やこのような相手の打倒を目指していくこととなる。

このように本作スピリットサモナーの進行は非常にオーソドックスなRPGに近いもので、限られた資金や所有カードを駆使してデッキを構築し、強力なデュエリストを打倒するする楽しみは、はじめから対戦ツールとして設計されており、はじめからすべてのカード、理想のデッキを使用できてしまう他のシリーズでは味わえないものだといえるだろう。

反面、この作品の代表的な問題点もこのレベルシステムに内包されている。先述したようにスピリットサモナーではデュエリストから得た経験値によって主人公のレベルが一定に達することではじめてイベントが進行するのだが、そのデュエリストから得られる経験値が異常なまでに少ない設定となっている。そのためひとつのイベントをこなしてから次のイベントが発生するまでの時間がプレイ時間にして数時間以上となることが当たり前のようになってしまっており、極めてテンポが悪いと言わざるを得ない。ゲーム中に登場するマップが孤島に位置するデュエルアカデミア…という箱庭空間であることもこのテンポの悪さ、次のイベントまでのレベル上げの単調さ…という致命的な欠点に拍車をかけている。

テンポの悪さという欠点はシナリオだけではなく、本作スピリットサモナーの目玉の一つとして挙げられていた「カードの精霊」要素にも及んでいる。原作のアニメ版遊戯王、遊戯王GXでは主人公である遊城十代のかたわらに寄り添うカードの精霊としてハネクリボーというキャラクターが存在する。本作はこの遊城十代の姿に倣ってゲームの主人公もカードの精霊を従えることが可能となっており、カードの精霊を従える条件はアカデミアのどこかに現れる精霊とデュエルを行い、勝利することである。

ここまでは通常のありふれた条件なのだが、問題点であるのは精霊が仲間になるかならないかが完全な運否天賦であり、しかもその確率が非常に低いという設定にある。精霊との対戦にこぎつけるまでにも運がからむにもかかわらず、十数回戦っても仲間にならないといった状況に陥りやすく、極めて作業的なゲームプレイとなりがちである。スピリットサモナーでは複数回デュエリストと戦うことでそのデュエリストの友人となることができるという要素も存在しているが、その場合でも上記の「確率が低すぎる」問題が発生しやすい。

ここまで述べたように本作スピリットサモナーの問題点は低すぎる確率、低すぎる経験値…といった数値的なバランスの悪さに尽きる。ニンテンドーDSでありながら3Dポリゴンを使用した戦闘表現に挑戦する、主人公の姿を自由に変更できるキャラメイク要素の投入、遊戯王のゲームとしてはじめてWi-Fiコネクションを利用したネット対戦を実装するなど目新しい要素に多く挑戦した作品であるだけにこのようなバランスの悪さはじつに惜しい。(とはいえ、このような劣悪なバランス調整はシナリオモードだけの存在であり、ネット対戦などではほとんど関係がない)

余談ではあるが遊戯王のゲーム作品にはここでしか手に入らない実際のカードが付属するのが半ば伝統となっており、付属したカードによっては複数買いを行う者が現れたりと異常な活況を呈すことがあるが、本作に付属したカードはさして強力なものではなかったのでこのような熱狂が起こることはなかった。
スポンサーサイト
 
 

ゲーム紹介・レビュー 忌火起草

忌火起草

プレイステーション3 セガ 2007

2007年にセガが発売したサウンドノベル。2006年から2008年にかけて行われたセガ・チュンソフトの共同開発事業「セガ×チュンソフトプロジェクト」によって世に送り出された作品の一本である。後には追加のシナリオを収録した「忌火起草 解明編」が異なるプラットホームである任天堂Wiiで発売された。

物語は現代の日本を舞台としたミステリー。関わってしまったものたちが次々と謎の焼死を遂げるという曰くつきのドラッグ“ビジョン”がその主題であり、主人公「牧村弘樹」が所属する大学の野草研究サークル内でこのドラッグが流行しはじめる時点から物語が展開していく。ゲームシステムは画面に表示されていく文章を読み進め、要所で現れる選択肢の結果によって物語が展開していく…というサウンドノベルの基本的な体裁をとっており、これらの選択肢を駆使して“ビジョン”をめぐる一連の怪事件の真相にたどり着くことがプレイヤーの目的となる。

サウンドノベルとして特徴的な要素としては、物語のセリフ部分がフルボイスとなっている点や、文章の背景がイラストなどではなく基本的に実写によるものが用いられていることなどが挙げられる。これらの要素の意味合いは思いのほか高いもので、とかく気休めの静止画を添えて、「文字を追うだけ」になりがちなサウンドノベルに臨場感を持って楽しむことができ、非常に効果的な演出である、と思っている。特に本作はあらすじからも察することが可能なように「恐怖」を多く含んでいる作品であるのだが、恐怖表現に臨場感という要素が重要となることはいうまでもなく、相乗的な効果を発揮していると感じた。

演出面に関しては高い水準でまとまっているといえる本作であるが、肝心のシナリオ部分については不満点も多い。

本作「忌火起草」のテーマとして挙げられている“ドラッグ”と“それに関わった者の死”。おそらく大多数のユーザーがこのあまりに現代的なテーマを見た時、想像するものといえば、あくまで現実的な要素、つまりは「自然科学」の範囲内で話を進めていくリアル志向のミステリーであって「超常現象」の絡むファンタジーでは決してない…という意識ではないだろうか?筆者もそのひとりである。ところがこの作品はドラッグなどという現代の極地とでもいうような物体をテーマに掲げながらも物語の中盤以降当たり前のように霊体のようなオカルト・超常現象的な要素が登場してくるのである。この登場があまりにも唐突であり、それまで「ファンタジー」の絡まない「リアル」な物語であるという前提で先の展開を推理したり、想像したりしていたプレイヤーにとっては耐え難い物語上の不協和音となる。「外から操作の出来ない密室内に犯人は見事侵入し、殺人を犯した。さて、真相は…と問われ、答えが「犯人は魔法使いで壁を抜けることができた」で納得できる者が果たしてどれだけいるだろうか?本作の問題点はここに集約されている。なまじドラッグという言葉に現代的現実的すぎる響きが存在するため大多数のプレイヤーが「リアル志向のミステリーである」と錯覚を起こすこと、中盤以降の「霊体のしわざだった」というデウス・エクス・マキナ登場までは物語が「リアル志向」の仮面をかぶったままファンタジーの予兆を出さない点(おそらくは確信的に行われている)などが中盤以降の展開の圧倒的な肩透かし感につながっており、物語構成上の重大な欠点と言わざるをえない。

オカルト・超常現象などが「有り」の世界観ならばはじめにその旨を提示するべきであると思う。物語の題材も事件への導入も非常に良く出来ている作品で、少なくとも序盤は読み進める期待感が大きかった作品であるだけに中盤以降の「呪い」の一言で「なんでもあり」な超常現象の登場は残念である。超常を絡めずにこのドラッグという魅力的な題材を料理することは不可能だっただろうか…と感じてしまう。
 
 

ゲーム紹介・レビュー AFRIKA

AFRIKA

プレイステーション3 ソニー・コンピュータエンタテインメント 2008

ソニーから2008年に発売されたサファリシミュレーションゲーム。いわゆる「環境ソフト」の一種であり、プレイヤーは写真家となってアフリカ、サバンナの地に降り立ち、動物たちの生態を追っていくことになる。環境ソフトというジャンルはPS2のエバーブルーシリーズ、Wiiのフォーエバーブルーシリーズなどをはじめとして「海」の探索を舞台することが多かったが、本作「AFRIKA」は「陸」のアフリカ・サバンナを舞台として設定したという点で大きく異色な作品となっている(筆者の管見の限りでは陸を舞台とする環境ソフトは思いの外少なく、さかのぼってはN64時代の「ポケモンスナップ」などに類似する属性が見られるがその後はほとんど発売がなく、海を舞台としたものばかりになっていく傾向が見られる)。開発が当時としては最先端の性能を持っていたPS3でのものとなったため、それまでの環境ソフトとは一線を画した自然環境の表現が見られる。動物たちの居住地域・活動時間…といった生態系はナショナルジオグラフィック社から提供された資料をもとに再現されており、非常に完成度が高い。

ゲームの進行としては写真家としてアフリカの地を訪れたプレイヤーに次々と「撮ってもらいたい動物」の依頼が舞い込み、それらをひとつひとつ達成していくことで徐々に行動可能可能エリア、使用可能機材などが増えていくオーソドックスな仕組みとなっている。

非常に「オーソドックス」ではあるがこの「オーソドックス」はRPGなどでありがちな「オーソドックス」であり、この一点がこの作品の最大の弱点となってしまっている。依頼を達成していくことで探索可能エリア、会える動物がようやく増えていく(開始直後はゾウにもライオンにも会えない)という構成が、環境ソフトに求められる「自由であること」を著しく阻害しており、ともすれば依頼を受けて、達成して、依頼を受けて、達成して…という自由からはかけ離れた単調極まるゲームプレイになりがちである(そして、実際にそうである)。

環境ソフトというジャンルにはおそらくこのような生活は求められていないだろう。

また、この作品の根幹を否定するような指摘になってしまうのだが、もう一つの問題点として「思いの外リアルなサバンナは地味である」というものが挙げられる。サバンナという気候帯の特徴上、木々を生やしてみたり、湖沼を配置してみたり、岩山や洞窟を配置してみたり…といったオブジェクトは「ファンタジー」となってしまうため、リアルな生態系を描こうとすればどうしても「どこまでも広がる大地、まばらに生える植物」「まれに目に入る水辺」といった光景がえんえんと広がってくことになってしまい、このような風景が上述の単調さに拍車をかけているのでは…?と感じてしまった。開発側でもバリエーションをもたせようと苦心している様子が見られるのだがやはり「サバンナ」から離れることは出来ないため、風景が似てきてしまうのはもはや構造上の問題であるといえる。

「海」を舞台にした環境ソフトの場合、基本的に「熱帯の海」が舞台となるが、この場合はサンゴや海藻、水中の岩場などを様々に配置することが可能で、この点において「熱帯の陸」ことサバンナとは大きく自然環境の再現の自由度において差が生まれていると思う。このようなマップづくりの難しさという課題などもPS2などの時代に陸を舞台とした環境ソフトが生まれなかった原因ではないだろうか。

先に、管見の限りでは陸を舞台とした環境ソフトはN64の「ポケモンスナップ」がほとんど唯一ではないのかと記したが、この作品はそもそも「ポケモン」というファンタジーをもとにしているという点で上に示したような陸の環境ソフトの弱点を克服しているといえるだろう。ポケモンスナップの世界ではひとつの小島に火山や渓谷などが同時に存在するバラエティに富んだ地形が展開されているが、もちろん現実ではこれらの共存は難しいのである。

それまでの業界が避けてきたであろう「陸」を舞台にした点、次世代機の性能を活用し、さらなる自然環境の表現を目指したという点など相当の意欲作ではあるのだが総論としてはいま一歩足りない部分が多く感じている。動物の愛嬌のある動きやグラフィックは素晴らしいだけに、単調なお使いになりがちな本編部分だけでも、もう少し自由度を持てる作りにならなかったのだろうか…と感じてしまう。はじめからすべての種類の動物に出会えるだけでも大きく印象は変わっていたと思う。
 
 

ゲーム紹介・レビュー グランデュエル~深きダンジョンの秘宝~

グランデュエル~深きダンジョンの秘宝~

ゲームボーイ ボトムアップ 1999

1999年に現在は倒産したゲーム制作会社であるボトムアップが発売したロールプレイングゲーム。背景として99年ごろには子どもたちの間で、週刊少年ジャンプの同名作品を元とした「遊戯王カードゲーム」が圧倒的な支持を集めていたというものがあり、本作はそのような社会的なムーブメントに相乗りする形で発売された類似する作品群のひとつである。当時は遊戯王カードゲームと同時に、同名ゲームボーイソフトを元にする「ポケモンカードゲーム」も人気を博しており、カードゲームの全盛時代とも言える時代であった。

この時期のボトムアップの活動方針はこのような社会的な潮流への徹底的な相乗りである。1999年12月に発売された本作「グランデュエル」は上述したように流行のカードゲーム要素を取り入れたものであったが、当時の社会にはポケモンを端緒とするもう一つのトレンドであった「育成」が存在しており、カードゲームと同様に多くのフォロワーを生み出していた。この育成要素を取り入れたのが、1999年の4月に発売された「おねがいモンスター」である。グランデュエルとおねがいモンスターではポテッちと呼ばれる同社のキャラクターをマスコットとして一貫して起用するなど、その当時ゲームフリーク社の顔として認知され定着していたマスコットキャラクター「ピカチュウ」などを意識した、ブランドの顔となるキャラクターを創りだそうとする販売戦略が見られる。

当時流行していた売れ線要素を詰め込んだグランデュエルであるが、その内容には厳しい評価をせざるを得ない。

ゲームは迷宮の奥深くに眠るという伝説のカード「ゴルゴンゾーラ」を求め、99の階層からなるダンジョンを踏破するのが目的となっている。ダンジョン内ではエンカウント方式で戦闘が挿入され、ゲームの主題となっているカードバトルによって勝敗を決していくことになる。このカードバトル部分はおおまかにはあらかじめ用意したデッキからはじめに5枚のカードを手札とし、手札から「攻撃カード」を1枚ずつ出しあっていくというルール。攻撃力でまさったほうのカードが勝利し、まさった攻撃力の数値分、相手の体力を減らすことができる。1回のカード提出を終えた後は再び手札を5枚になるように補充し、どちらかの体力が0になるまでこれを続けていくことになる。

この時点で明白であるのだがつまるところ本作のカードバトル部分は単なる「力比べ」であり、通常のカードゲームのように戦略的なプレイが展開される余地はほとんどないと言って良い。あまりにもカードゲームとしてルールが練られておらず、カードバトル部分は単調さが否めないものとなっている。加えて、全体的にキャラクターの体力が高過ぎることからテンポも異常に悪く、一回の戦闘を終わらせるまでにはかなりの時間がかかってしまう。


いちおうの要素として「カードの属性」「地形効果」というものが存在しており、カード同士の相性やカードと地形の相性などによって戦闘の結果が左右されるというカードゲームらしい要素は盛り込まれている。しかし、こちらはカードや地形が持つ属性の数が無意味なほどに多く設定されている、そもそも属性同士の相性が不明確かつわかりにくいなど、「単なる力比べ」である基本ルールと逆の方向性であまりにも練られていない出来となってしまっている。まず基本属性が火・水・土・風・光・闇・無というものが存在しているのだが、なんとそれぞれの属性が全て複合属性を持ち(たとえば水と土の複合である「泥」属性など)、複合属性それぞれにも相性関係が設定されているのである。それらの関係性は膨大なものとなり、あまりにも煩雑である。このような状態であるため、属性関係を無視して単純に強いカードを思考停止で繰り出していく…というゲームプレイに陥りがちである。

総括としてはすべてにおいて単調で、当時の売れ線要素を「ガワ」だけ模倣した作品というほかない出来となってしまっている。

2000年3月に倒産することになるボトムアップは、1999年12月発売の本作グランデュエルに文字通り社運をかける販売戦略を展開しており、ゲーム雑誌などに懸賞を設定する、3000本の無料体験版配布を行うなど大々的なキャンペーンを行っていた。しかし、このような努力のうえでもグランデュエルの売上ははかばかしいものではなく、販売促進キャンペーンにあたって相当量の資金を消費したことも重なって、ボトムアップ倒産を招く致命傷となってしまった。

グランデュエルはゲームボーイアドバンスで続編が発売される予定であったが、3月の倒産によりこの計画は凍結されることとなる。

本作が発売された3ヶ月後にボトムアップが倒産するという事情を考慮すると、当時の売れ線を詰め込めるだけ詰め込んでいた事情はある程度理解できる。しかしそれらの要素があまりにも洗練されていない低い次元にまとまってしまっており、前作の「おねがいモンスター」がポケモンに相乗りしたフォロワーでありながら特有のカラーを持ち、一定のファンを獲得していたことと比べるといかにも物足りない。仮にこの作品が前述した問題点を持たない状態で発売され、成功をおさめていれば、ボトムアップは存続し、ゲームボーイアドバンスの「グランデュエル2」も無事に発売されていたのだろうか?非常に残念である。
 
 

ゲーム紹介・レビュー オプーナ

オプーナ

Wii コーエー 2007

2007年にコーエーが発売したRPG。コーエーからファイナルファンタジー、ドラゴンクエストを超えるRPGを発売したいという同社の取締役名誉会長襟川恵子の発言、それを踏まえた「超大作路線」としての意欲的なマーティング、その後売上の記録的大敗北といった経緯から、本編の内容とは別に高い知名度を誇る作品であろう。

物語は主人公「オプーナ」が家族との旅行の最中に発生した事故により、「ランドロール星」という惑星に不時着するところからはじまる。この事故によってオプーナの両親は大怪我を負い、兄弟姉妹ともはなれ離れになってしまう。このように課せられた過酷な運命にたちむかい、最終的にはランドロール星に潜む悪を討ち果たすことになる少年オプーナの成長…というのがこの作品のメインテーマである。キャッチコピーの「もう少し、子供のままでいいですか?」などは、試練に直面し成熟した段階への「成長」が半ば必然的に要求される状況となったオプーナ少年の表現としてじつに的確なものであるといえるだろう。

制作発表会で本作の音楽を手がけた崎元仁、ドラゴンクエストの生みの親である堀井雄二によってなされた「子どもたちの思い出に残るRPGにしたい」という宣言にもあるようにこのおおまかなプロットは、メインのユーザー層に据えた子どもたちへ向けた物語の手法としては非常に効果的なものであっただろう。

ここまで述べたようなテーマの設定やシナリオの流れについてこの作品に非はなかったと思う。この作品がその大敗を記録に残すことになった原因は単純な話「キャラクター、世界観の魅力」にあったのではないか?というのが筆者の考えである。

魅力、というような主観的かつ曖昧な概念を文章に表すのは困難なことではあるので詳細に述べることはしないが、この作品のキャラクターや世界観は非常に「薄味」で、少なくともこの領域においてはこの作品が打倒を目指した「ファイナルファンタジー」や「ドラゴンクエスト」のようなタイトルにはとうてい並ぶべくもない…といった印象を受けた。この二作のような超大作路線を歩みたいのであれば、このようなキャラクターの作りこみや世界観の設定などがむしろ重視されるべきで、この領域において弱点を持つというのはRPGとしては致命的だったのではないだろうか。この「オプーナの急所」がそのまま売上にも反映されてしまったのではないか?と考えている。

システム面については片手だけで簡単にプレイできるエナジーボンボンによる戦闘システム…といった試みがなされており、実際に完成度は高いのだがやはり「普通」の域を超えるものではないため、前述した致命的な弱点を勘案すると、どうしても作品全体としては低めの評価になってしまう。

ここまでオプーナの問題点について述べたが、その部分を除けば作品としては丁寧に作りこまれており、オーソドックスなRPGとしては十分高い次元に達している作品だと思う。ただ一点、ユーザーを引き込む魅力というものが欠如しており、それが致命傷となってしまったという点では非常に残念な作品である。
 
 

ゲーム紹介・レビュー K-1 WORLD GP 絶対王者育成計画

K-1 WORLD GP 絶対王者育成計画

ニンテンドーDS ディースリー・パブリッシャー 2007

かつて存在した日本の格闘団体「K-1」に題材を借りた格闘シミュレーションゲーム。プレイヤーはジムのオーナーとなって選手の育成を行い、K-1の舞台で活躍できる選手を育成していくことが目的となる。ゲームは大きく、選手の練習スケジュールなどを決め、実行していく育成パート、実際の試合を行ってその選手のキャリアを積んでいく試合パートに分けられ、これらを交互に繰り返していく形でゲームが進行していく。

率直に言えば、ゲームとしての完成度は非常に低い部類の作品だと思う。その理由としては前述の試合パートの致命的な作り込みの甘さが挙げられる。格闘シミュレーションゲームの試合パートともなれば、それなりに爽快感や迫力のあるアクションが求められるはずなのだが、このゲームのアクションは全体として非常に緩慢で、なんら迫力も爽快感も見いだせないものとなっている。アクションのパターンも少なく、選手ごとの得意技(実際にK-1に参戦していた選手も収録されている)といった最低限の要素は満たしてはいるが、それでも基本のパンチ、キック程度しかパターンが存在せず、自由度に欠けるといわざるをえない。

アクション自体が緩慢であまり出来がよくないうえにパターンも少ないと、この領域では厳しい評価をせざるを得ないが、試合中のダメージ管理の部分についてはそれなりによく出来ている。

試合中は選手の「各部位」に耐久力が設定されており、この耐久力がその部位に打撃を受けるたびに少しずつ減少していく。ダメージが溜まり過ぎると足の踏ん張りが効かなくなるいわゆる「子鹿」の状態になる、ガードがあがらなくなるというように選手のコンディションに変化が現れる。この部分については実際の打撃格闘技の試合をゲームという制約がありながらもうまく再現していると思う。とはいえ、肝心のアクションの出来が致命的に悪いために、序盤にローキックで相手の足を潰し、後半にパンチのラッシュでしとめる試合運びをしよう、と考えてもなかなか思ったような動きにはならないのだが…。育成パートは単調ながらそれなりに遊べる内容となっているが、試合パートのマイナスがそれを消し去ってしまった作品である。

前文にK-1を「かつて存在した」と表記したがこれは2012年に格闘技イベント「K-1」を主催していた株式会社FEGが負債を抱え破産したことを示している。そのK-1は経営陣の入れ替えや融資の決定といった紆余曲折を経て「新K-1」として再スタートしているが、このゲームの発売は2007年となるので、扱っているのは「旧K-1」のものとなっている。そのため「かつて存在した」と表記している。
 
 

ゲーム紹介・レビュー RISE FROM LAIR

RISE FROM LAIR

プレイステーション3 ソニー・コンピュータエンタテインメント 2007

ソニーが2007年に発売したアクションゲーム。「人間とドラゴンが共存する太古の世界」という世界観を持つファンタジー色の強い作品であり、農耕技術を発達させるという道を選んだことでその歴史を紡いできた帝国「アシリア」と、機械技術の発達を選択した「モーカイ族」という二大文明の衝突を描く…という、ファンタジーの王道をゆく壮大なテーマを描いている。

世界観の根底にある、「人間と共存するドラゴン」が物語の軸となっており、プレイヤーは空をとぶドラゴンを駆り、アシリア帝国の防衛の任務を帯びたスカイガードの「ロン」となって、この動乱の渦の中に飛び込んでいくことになる。

プレイステーション3初期の作品ではあるが、同機種のコントローラーに搭載されていた左右傾き・前後傾き・左右振りの6軸からなるセンサーを利用し、主人公ロンが騎乗するドラゴンの操作を体感的に行える操作法を組み込むなど、先駆的な試みにも挑戦している。

ここまでは非常に作品の評価に「プラス」に働く要素が続くが、全体としては、一般的に厳しい評価を下されている作品であり、それはわたしも同様である。

この作品を「厳しい評価」たらしめている最大の要員としてはやはり、その劣悪な「操作性」「ゲームデザイン」が挙がるだろう。本作はプレイステーション3コントローラーに内蔵されたセンサーを用いてドラゴンを体感的に操作すると先述したが、このセンサーの動作認識がところどころ甘く、かなりの「慣れ」を得なければドラゴンを思ったとおりに動かせない…という問題を持っている。ただでさえ不安定な「空中戦」という舞台設定にこの操作性がまじわることによるストレスは本作のゲームプレイにおいて無視できるものではないと思う。

これは私見ではあるが、本作ライズフロムレアのように少しでも特殊な操作性を持つ作品は第一に快適な操作性にこだわるべきで、その特殊な操作性によりプレイヤーにストレスを生じさせることがあってはならないと考えている。

本作のもうひとつの問題点はそのゲームデザインにあり、特に難易度設定に関する部分についての粗さが目立つ。

前提としてこの作品はそれなりに難易度の高い作品であるのだが、ひとくちに「高難易度」といっても、その内容には作品によって大きく質の隔たりがあるものである。例えばシミュレーションゲームであるならば、製作者側から意図を持って敵の配置、増援が設定されており、それについてプレイヤーが考えを巡らせ、戦略を練って丁寧に進めていけば攻略できる…といった高難易度は「質の良い」高難易度であると筆者は考える。「質の悪い」高難易度はこの逆であり、単に通常のモードに比べて、いたずらに敵の能力を上げる、味方を弱くする…といった短絡的な手段によっての調整が図られたものをいうだろう。

本作ライズフロムレアはまさしくこの「質の悪い」の典型のような難易度調整をおこなってしまっている。二大国の衝突を描くというシナリオのテーマ上、ゲームプレイ中には多くの、「二国の戦士が集結し、刃を交える」というシーンがあるのだが、ここで登場する味方の勢力があまりに弱く設定されており、プレイヤーの知らぬ間にゲームオーバー(味方が倒れれば負けとなる)といったおせじにもゲームデザインが良好とはいえない場面が多々見られることとなる。作品としては明らかな欠点であろう。

総括としては題材までは素晴らしいのだが操作性をはじめとする欠点によりそれらを台無しにしてしまっている作品。この手の作品は非常に多く存在するが本作は特にその落差が大きく、購入者の落胆もまた大きいことが予想される。
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。